ライターの舟久保 遼さんから三月公演「いつも君は私の隣にいる」の劇評を頂きましたので掲載いたします。
是非読んでみてくださいね!

『戦慄のくねくねダンス』

阿佐ヶ谷とは相性が悪いです。というか中央線沿線の駅前って、なんでみんな似たような作りをしているのでしょうか。ロータリーとパチンコ屋と牛丼屋とサラ金…みたいな。うたた寝から目が覚めて外の景色を見ても何駅か判別不能で、間違えて高円寺で降りてしまいました。そのせいで遅刻ギリギリでしたが、阿佐ヶ谷アルシェで公演していた、友人田中円氏が主宰の劇団「虹創旅団」2016年春公演『いつも君は私の隣にいる』を観劇してまいりました。
慌てていたので劇場入口で3段ほど階段から落ちましたが、なんとか間に合ったと安心して客席についた瞬間、ギョッとしました。舞台セットにハローキ○ィのお面が…。僕は子供の頃からどういう訳かハ○ーキティがたいへん苦手で、彼女の真っ黒で瞳孔の開ききった瞳を見ていると不安な気持ちになるのです…。できるだけ○ローキティからは目を逸らしつつお芝居を観ることに。
物語の舞台は山と海に囲まれた小さな田舎町。歩という小学6年生の少女がいて、それとは別に30歳になった歩が過去を回想しながら街をうろつくシーンが要所要所に挿入されることから、彼女が恐らくストーリーテラー的な立ち位置のようでした。何人かの同級生や、その家族、学校の先生、駄菓子屋のおばちゃんなどが登場。仮面ライダー、ひょっとこ、ジェイソン、天狗(そしてハロー○ティ…)など、大人になった歩以外はみんな頭の横にそれぞれのキャラに合わせたと思われるお面が装着されています。
魔法が使えるという噂の不思議な少年、友郎が歩のクラスに転校してくるところから物語は始まります。はじめはのんびりとした雰囲気で、このまま「僕の夏休み」みたいなほんわかしたストーリーが展開されるのかと思いきや、結構ヘヴィでした。どんなに穏やかな田舎町だろうとそこに人間という因果な生き物が集まって生きる以上、様々な問題が発生するものです。いじめや虐待など、結構生臭いそれらの問題を、友郎が小さな魔法で解決し、街の人々を救って行くというストーリーです。
耳が聞こえなくなるほど我が子を殴り飛ばしたり、いじめっ子がカッターで男の子の性器を切り取ろうとしたり…けっこうハードなシーンも多かったです。ハードなシーンといえば、劇中「くねくね」という人型のお化けというか怪物みたいなのが登場するのですが…真っ白なお面をつけた3人組が両手を大きくクネクネしながら追いかけてくるという戦慄のシーンがありました。正直もはやハローキテ○なんてどうでもいいくらい怖かったです。
個人的にはいじめっ子の綾子というキャラが好きでした。彼女は母親への歪んだコンプレックスから、美醜に対して強烈な執着を持っていて「ブスが整形してもシンデレラにはなれない!」という個人的にこの作品で1番心に響いた名言を放っていてました。ちなみに演じている知乃さんという女優さんはなんと現役女子高生だそうで、そんな若い娘さんに「ケツでも掘られたか、オカマ」とか言わせてる田中氏の、意外にサディスティックな一面を垣間見ることができました。
観劇後、タバコを吸いながら子供の頃のことを思い出してみました。毎日が冒険と発見に満ち溢れていた、キラキラした少年時代。たっぷりの愛情に守られ、愛欲やアルコールの匂いとは無縁の優しくクリーンな日々…。だなんて。そんな訳はありません。思い出はいつも容易く改ざんされるものです。子供には子供の絶望があり、憎しみがあり、哀しみがあります。僕達人間は大人になるとそんなことも忘れてしまいます。絶望も希望も、本当はずっと昔に知っていたのに。それこそが田中氏の言う「人のエゴと愚かさそのもの」なのかもしれません。空を見上げると、星ひとつ無い東京の夜空が広がっていました。まるでハロー○ティの真っ黒な瞳のようでした。大人になると人は大切なことを忘れてしまう…けれど、子供の頃見た故郷の夜空には、星がたくさん輝いていました。それはきっと嘘ではないはずです。それさえ忘れなければ、たとえどんなに真っ暗な都会の夜空の下でも迷子にはならないのではないでしょうか。
救いのあるファンタジー作品でありながら我々の住む現実世界から決して目を背けない、そんな力強い彼らの作品にはいつも感動します。次回作の公演は6月だそうなので、心が汚れてしまったそこのあなた(僕の友人には多そうですね!)大切な何かを思い出しに行ってみてはいかがでしょう。なぜ僕が○ローキティ恐怖症になったのかは、いまだに思い出せないのですが…