「いつも君は私の隣にいる~宮沢賢治「風の又三郎」より~」が終演いたしました。
いつも死力を尽くしているつもりなのですが、死力というのは難しくて、努力出来るのも努力と言いますが、迷子の状態の時に、正しい家路に向かう努力、死力と言うのは、尽くし難いものです。
その死力の尽くし方を、十二月公演「クリスマス・キャロル」では学びました。
多くの問題が重なり、十二月公演は、お客様に罵倒を頂いても仕方が無い公演だと思っておりました。けれど、一人のお客様のありがたい罵倒のアンケートのおかげで、なにくそと、半ばやけくそで上演を行った時に、これが死力か、とわかったようなところがありました。
それによって、クリスマス・キャロルは無事公演を終えることができました。
そこからの3月公演でした。
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うちの舞台は特殊で、演劇を愛されるお客さまの一部には、強烈な拒否反応を起こすところがあります。
演劇とは会話の表現である、という側面から演劇を捉えておられるお客様には、情景描写を台詞と身体表現で行うことなどには大変な抵抗があるのだろうと思います。
私たちがその魅力を伝え切れていない力不足なことは、毎回身を捩る思いです。
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今回の稽古において、私は演出として役者に、一貫して一つの指針を掲げました。
それは「一生懸命。役になりきる。」ということでした。
全ての開演前に、それを役者に言いました。
もう少しわかりやすく砕いて「F1として演劇をやれ」と言うことも伝えました。
簡単に解説すると、一生懸命、というのは、一生懸命気持ちを伝えようとする姿勢のことです。
それは大好きな片思いの相手に告白する時、尽くす力のこと。
おぼれている人を助けるような力のこと。
役になりきるというのは、その役の世界を生きるということ。
そしてF1というのは、どんなに曲がりづらいカーブでも、勝つために全力で曲がれ、決してスピードを落すな、と言うことです。
それはクリスマス・キャロルで学んだ力でした。
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結果として、私達の喉は悲鳴を上げ、体も悲鳴を上げ、心も疲弊しました、がおおむね好評な結果をなったように思っています。
命を懸けて演劇をする。
もっともっと追求はできますが、私達の演劇の、根本の形を考えることができたように思いました。
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今回のお客様のアンケートの中で「こんなくだらない演出は見たことが無い最悪だ。」
と言うようなことを書いてあったアンケートがありました。
私は、演劇とは演出の妙だと思っていた節があります。
ですが、そのアンケートの最後にこう付け加えてあったのです。
「だが、熱演には大変好感が持てた。もう一回見てやっても良い。」
演劇のもっとも大切なことを、教わったような気がしました。
大きな声を出して、体全力で、お客様に物語を、心を伝えるために命を尽くす。
刻みたいと思います。
ご来場本当にありがとうございました。
少しでも皆さんの心に、忘れられない夏休みが届いたなら幸いです。
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6月公演に向けて、死力を尽くします。
虹創旅団・団長 田中円
虹創旅団一同